家庭菜園で食費を浮かす

家庭菜園の限界に挑戦

家庭菜園とGDP

GDP等で測れる経済規模は農村から都市への人口流入が終わると頭打ちになり成長は止まる。何故なら農村で行われていた仕事はかつては金銭には変換されずに、人々は生活していたが、その労働力が都市に流入するとその仕事は金銭に変換され経済規模の数字は大きくなる。従って農村からの人口の流入が終わってしまえば、金銭に変換される労働力も同時に頭打ちになる、その結果経済規模の成長は停滞する。要するに経済規模とは労働を金銭に変換するか否かである・・・という主旨の事を女装する前の安富歩先生が講義で述べられていたが(phoenix goldさんのyoutubeチャンネル日本崩壊まであと〇年 殺された石井紘基議員が調べていた日本を蝕む特別会計の闇の話)

 この動画を見てこの安富先生の解説はかなり腑に落ちた。

 GDP至上主義については経済規模と幸福は必ずしも一致しないと言う点で疑問を持っていたからである。

 例えば薬害で生じた病気の治療費(殺無惑珍とか)で上昇したGDPと我が家のように5月初旬にサツマイモを植えて盆明けからほぼ毎日のように食べながら食費を浮かしまくっているのとどちらが幸福度が高いか?前者はバッチリ経済規模に貢献しているが後者は単に美味しく食べているだけでGDPには何ら貢献していない。

 極論だが上述のような例えである。

 資本主義のある面での見方は平川克美先生の『グローバリズムという病』で大いに勉強になった。「世界のリソースは無限であり、人口は増え続け、商品市場は拡大し続けていた。世界が右肩上がりで発展していった時代である。株式会社の発明は世界が右肩上がりで成長し、投下した資本が、局所的な損得はあったとしても、総体としては増加して戻ってくるという社会状況を前提としている。・・・」

 

 右肩上がりの未開の地の市場が無ければ弱肉強食的な資本主義は存続できずアジアの成長を取り込む!などと言う言説もこの観点からの資本主義を前提としたものであろう。

 しかしながら地球の大きさは有限であり未開の地の農村部からの都市部の人口流入が止まれば前述の安富先生の言う通り成長はSTOPしてしまう。

 そうなると開発されつくすと資本主義は終わるのかというとそうではない。未開の地がなければ未開の分野を切り拓いて成長をすればよい(リターンを期待できる)

 例えばクリーンエネルギー、生分解性プラスチック等の持続可能なライフスタイルに寄与する分野である・・・が、果たして大資本が食い散らかしの資本主義を止めるかというと・・・・。

 

というような事を最近考えてますが個人で出来ることと言えば環境を汚さないように生分解性マルチを使い、生ゴミは畑に返してゴミの量を減らし家庭菜園で食費を浮かす程度です。しかーしこれが集まると大きな力になると信じてます!?

 皆さんも無農薬、無化学肥料で家庭菜園やってみて下さい。出来る範囲で限界に挑戦。

 家庭菜園で食費を浮かす!