家庭菜園で食費を浮かす

家庭菜園の限界に挑戦

モーリス メッセゲ先生

 私の家庭菜園でのハーブ系野菜の栽培のきっかけになったフランスの薬草治療家のモーリスメッセゲ先生の紹介をしたいと思います。

 メッセゲ先生は1921年南仏ジェルス県カヴァレ村生まれの薬草治療家です。

 先生の自伝『神は私に薬草と奇跡をさずけた』によるとメッセゲ先生の一族は450年以上も同じ土地に小作農等をしながら住み続け『植物のバイブル』とでも例えられるような数葉の紙(祖先が残した植物の絵と薬効を記したもの)を基に代々半径20数キロの住民を治療してきたそうです。時には本職のお医者さんがお忍びでお父様の治療を受けに来たこともあったそうです。メッセゲ先生はお父さんから先祖代々の知識、経験を教わりながら成長していきますが先生が11歳の時に不慮の事故でお父様を亡くされます。

 

 実家が貧しかった先生は叔父さんの計らいで寄宿生として町の中学校に入学しますが、そこでは故郷のような自然は無く、金持ちの同級生にはからかわれ、またお母様も女中と働きに出たりと大変辛い少年時代を過ごされます。

 

 19歳の時ドイツとの戦争勃発に際して兵役に応招し検閲等の任務に従事されますがここから運命が転換していきます。青年期に差しかかる頃にラグビーを始めていた先生はその実力にも助けられ少年時代のような状況からは脱していましたが、従軍後も活動していたときラグビー仲間が『あれは変わった人間ですよ。メッセゲという男は父親から植物を使って人々の病気を治す方法を教わっているんです』という様なことをミュクローツ少佐に話したことがあったそうです。

 少佐はその事をずっと記憶に留めていましたが、ダルラン海軍大将から彼が肩の関節周囲炎に悩んでいる事を聞いた時にメッセゲ先生の事を思い出し、先生がダルラン大将の治療に任ることになります。

その時の様子は

『私は持参したキャベツのいちばんきれいな葉を数枚、かなり細かく刻み、そこからその太い葉脈の部分を取り除いたものをクレソンと混ぜ、そこにイラクサを加えました。そして、十分に固く泡立てた卵の白身でそれらをみんな混ぜ合わせました。こうして調整したものをモスリンの布において・・・この冷浸剤はセイヨウナツユキソウ、ローマカルミレ、薬用サルビア、ギョウギシバをベースにしたものでした。』

というようなものだったそうです。

そして見事に治療に成功されました。この経験は多いに先生の自信に繋がったようです。

 戦後軍隊から復員された先生はドルドーニュ県のフェスロン中学校の生徒監督教師の職を得ます。この学校で体調を崩した生徒を近隣で採集した野草を使って治療してあげていると噂を聞きつけた父兄が学校につめかけます。そしてこの父兄達も先生の親切心から一銭ももらわずに治療してあげていたのですが、一部の人からお金を巻き上げるイカサマ治療師のレッテルを貼られ職を失います。

 ダルラン大将、生徒たちの治療を通じてその技術に自信を深めていた先生はこう考えます。『今までの治療の経験を活かして薬草治療家として活動しよう!』

 お父様からの代から交流のあったエシェルニエ医学博士を頼りに、ニースに旅立ちますが博士に邪険に扱われ結局一人で開業することになりました。

 賃貸の部屋で開業し

『モーリスメッセゲ 薬草治療を致します。午後2時から4時まで』

 と名刺も作成しますが・・・。唯の一人も患者さんは来ません。まあ当然といえば当然ですが・・・。

 仕方なくホテルのポーターを始めますがここでは縄張り争いに破れ失意の日々でした。その仕事の道すがら体中乾燥性湿疹だらけの『ルンペンのシューム』と知り合います。そこで『ルンペンの湿疹治療大作戦』が始まります。

 一か月後・・・。見事に治療に成功します。

 そこからの展開はまさに『運命開花』!シュームの話を聞いたリウマチの修道女さんを治し、修道院の尼さん達を治し、その噂を聞いたシャンソン歌手のミスタンゲットを治し、政治家のエドワードエリオを治し・・・とまさにわらしべ長者的な大成功を治めます。が・・・やはり成功には妬みもついてきて不法医療行為で裁判に掛けられてしまいます。この裁判には患者さん達の証言や味方になってくれる医師たちのおかげで何とか不問に終わります。その後も裁判にかけられた事もありましたが不撓不屈の精神で闘われ治療を続けます、画家のモーリスユトリロ、イギリスのチャーチル首相など著名人の治療にもあたり押しも押されぬ薬草治療家となられました。

 先生の経歴は大体こんな感じですが私が共鳴したのは医学と自然に対する考え方です。

 『メッセゲ氏の薬草療法』に

『正しい医学というものは、いわせて頂けるならば、自然と人間の英知とが私たちに提供してくれる手段をあまさず利用されなければいけないのではないかと思うのです。何一つおろそかにしてはいけません。』

 『一般に人々は、うんと遠いところから来た薬か、でなければ一番高価な薬に最も効力があると思っています。お財布からどっさりお金を出すほど良い治療が受けられるような感じがするのです。(中略)自分の家の近くの日の光がさんさんとふりそそぐ明るい野に出て、肺をちょっと酸素で満たすだけでわけなくみつかるものをわざわざ地の果てまでにまで探しに行く人がとても多いということをこの植物医療に長年たずさわってみてしみじみと感じさせられます。』とありますが共感させられます。

 メッセゲ先生のお父様が好んで用いていた植物はセイヨウサンザシ、チョウセンアザミの葉、キンポウゲ、クサノオウ、ギョウギシバ、クレソン、ヒナゲシエニシダ、ラベンダー、セイヨウハッカ、イラクサ類、パセリ、タンポポ、オオバコ、バラ、ヨーロッパキイチゴ薬用サルビア(セージ)、ベニバナツメクサ、スミレなどの20種強だそうです。

 日本に全部の植物は自生していないでしょうが、少しの空き地にでも有用植物があっても除草剤をぶっかけ、野菜にも農薬をぶっかけ、化学肥料をぶちこみ、まあ病気にならない方がおかしい現代です。玉ねぎ、ニンニク、フェンネル等の普段の野菜の薬効も先生は説いておられますし家族の健康を考えると無農薬の家庭菜園はやはり必須な気がしてちょっとのスペースですが取り組んでます。自分の鍬の一振りがモン〇〇トへの天誅の一撃と思えばヤル気も増すというものです。

 先生の著作には簡単に栽培できる薬草も紹介されていますので皆さんも可能な範囲で空いたスペースで薬用植物を栽培しているといつか役に立つ事があると思います。